町中で稲荷神社に気づくと一礼する習慣を持っている。宗教的というよりかなり情緒的なものだ。それは亡き息子の思い出につながる。他界後のことである。息子が毎朝登校路にあったお稲荷さんに、必ず手を合わせて学校に向かっていたことを知った。宮司から聞かされたのだ。その時私は思った。11才8カ月で逝った息子は、朝の短い祈りの中で病の本復を祈ったのだろうか。それとも私の知らない夢について何かを願ったのか。以来私は何処の稲荷神社であっても手を合わせるようになった。あの朝の祈りの力で、わが子は天命から逃げずに逝けたのだ、と信じるために。 〔お〕 投稿者: AR 日時: 16:49 |





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